とある発達障がい者が語る人生

発達障がいと自分の人生や思いについておもに綴っています。

あたしはあたしになりたい、あたしでありたい

不思議と、欲しかったものがわかり、

それを自分で自分に与えるようになってから、

 

私の強迫観念と強迫行為の頻度は減ってきた。

もう何も試さなくていい。

 

もし強迫観念が浮かんでも、

「それもあたしだよ」

と自分を許している。

 

すると、何故かすっと不安が消えるのだ。

 

試す自分も自分として受け入れ、許す。

全部、受け入れがたいことも、

「それでいいんだよ」と許す。

 

いい子である枠から外れた行為や思考も許す。

私が今、望むこと。

 

それは何よりも「あたしになりたい」ということだ。

自分でもよくわからないが、もっと私は私を知りたい。

 

私に優しくなり、私自身は私自身でありたい。

 

まだまだ分からないこともあって、

悩むこともあるが、それもまた自分で、

 

そういった中から、少しずつでいい。

遠い過去に埋めてしまった生き生きとした自分の本音を、

発掘していきたいと思っている。

 

ありがとう

これまで「私」と書いていたが、なんとなく「あたし」と書きたくなった。

普段の一人称(公的な場を除く)は「あたし」なのである。

あたしは今、自分の深いところ、魂でこれを書きたいと思っている。

 

世界があたしにとって、どうあるかは関係ない。

世界とはあたし自身であり、あたしが決めることができる。

あたしは、あたしのすべてを許す。

 

過去も、現在も、未来も。

悔いてきたことも、

苦しかったことも、

全てすべて。

 

あたしを歪めてきたものも、

全て。

 

あたしがほしいものを、親はくれなかった。

そう思って親を恨んだこともある。

 

だが、親もまた、自分が自分らしくあってよいということを、

その親から教えてもらうことも、許してもらうもできなかった。

 

でも、親は親なりに、必死にあたしに愛を注ぎ、育ててくれたのだ。

例え、それが心の擦れ違いであったとしても。

 

親には大変迷惑をかけた。

 

それはあたし自身の心の悲鳴で、

親への恨み、いろいろなものが噴出したが、

それでも、すれ違った親子関係でも、親は親なりにあたしを育て、

成人後も、

地獄に底に落ちたあたしを助けようと必死に足掻いてくれたのだ。

 

恨みと憐みと感謝。

 

いろんなものがないまぜになっているが、

それでも親は親だった。

 

あたしは自分が欲しかったものが分かった時、

大きく絶望した。

もっと早くそれを知りたかったとか、親はそれをあたしにくれなかったとか。

とても親を恨んだ。

 

そして、親自身のルーツも思い出し、

すれ違っても、親なりに愛を注いでくれたこと、

助けてくれたこともあって、

 

「恨みもある。でも感謝もしている」というところに落ち着いた。

 

いい子を脱した結果、

「親を恨んではいけない」という制限が外れたのである。

 

親が許せるか?と聞かれれば、

ありがとう。とあたしは今、親に伝えたい。

 

親も人間であり、不完全。

あたしも人間であり、不完全だが、

親が気づけなかったことに気づき、

今、世界が自分に優しいこと―あたしがあたしである事を許した世界が、

とても優しいことに気付いている。

とっくに許されている

自分が許されるかどうか、世界を試さなくていい。

もうとっくの昔に許されている。

 

少なくとも、私だけは私を許す。

欠点も何もかも、全部受け入れた上で。

自分自身を、歪めなくてもいいのだと。

 

何度も何度も小さなころの自分を思い出し、

彼らとの対話と仲直りを経て、たどり着いたのがこの結論だった。

 

私がほしかったのは、

人並みに何でもをこなす能力や、

コミュニケーション力とかではなく、

 

例えどんな環境でも、

自分が自分でいられることだったのだ。

 

人の心の姿勢は3歳までに決まるという。

 

私の両親は、親といろいろな確執を抱えて生きてきた人たちで、

「一人で生きる」

「他人はあてにならない」

という姿勢がとても強い人たちだ。

恐らく、彼らはアダルトチルドレンだろう。

 

そして、私自身も。

 

ずっと欲しかった「あたしは、あたしでいい」は

今、私を―「あたし」を、強く動かす原動力となっている。

「あたしは、あたしでいい」

私は今、自分がずっとずっとほしかったものを知っている。

 

私がほしかったもの。

それは、見守ってもらうことだった。

 

どんな時でも「NAOはNAOであればいいのよ」

と言ってもらえれば、それだけでよかったのだ。

 

例え人より劣っていても、

いじめられても、

 

親がそういって手を握ったり、

抱きしめてくれれば、それだけでよかったのだ。

 

私が私であることを、誰かに認めてほしかった。

人より劣ってるからって、

無理に自分を殺していい子にならなくてもいい、

そのままでいいんだよ、と、誰かに言ってほしかったのだ。

 

残念ながら、私の人生にそれを言ってくれる人は

これまでいなかった。

 

親は「いじめに負けるな」「細かいことを気にするな」といい、

先生はいじめられっこを叱ってくれた。

きっと大人たちは皆、私を一生懸命になってくれた。

 

でも私が一番欲しいものは、私自身もわからなかったし、

大人たちも気づけなかった。

 

だから今、私はそれを自分で自分に与えるようにしている。

ふとさびしい感情、不安な感情が沸き起こる時、

そこには小さいころの自分がいる。

 

その自分が怯えて顔を出す。

その自分の手を、私は握っていう。

 

「怖くてもいい」

「出来なくてもいい」

「それでもいい、大丈夫」

「あなたはあなたでいい」

「あたしは、あたしでいい」

 

そうすると、何故かふっと不安が和らぐのだ。

 

「あなたはあなたでいい」

「あたしは、あたしでいい」

心の原風景

幼少期、そして小学生時代のこれらによって、

 

「出来そこないの自分にとって、

この世界は厳しく、苦痛に満ちたものである」

 

という、私の心の原風景は形作られた。

 

幽霊にとりつけという妄想が浮かんでは、

必死にそれを否定する。

墓参り神社にいけばその気がなくとも悪口が浮かび、

罰を与えられることを恐れ、必死に謝罪する。

 

私の強迫性障がいは悪化していった。

 

私にとってそれは、「自分が存在してもよいかを試す」ことだった。

 

わざと苦痛のさなかに自分を叩き込むことで、

それが許されるか試し続けていたのだ。

私だけの世界の中で。

 

何よりも私を許していなかったのは私だった。

特に、

神社にて悪口が浮かんでは必死に謝る症状は、

 

「神という曖昧ながら崇高な存在に

悪口を言うことで悪いことをし、それでも許されるか」

ということを試していたのだと思う。

 

激痛。激痛。激痛。

 

それは精神の自傷行為であり、

繰り返すたび、私の精神は摩耗していった。

そして強迫性障がいへ

苦痛と不安。

それから誰かが救出したときに感じる、

「私はここにいてよいのだ」という感覚。

 

それを私は無意識のうちに求め、繰り返してきた。

「苦痛」と「それから救ってくれる他人」の存在により、

自分を安定させていたのである。

 

強迫性障がいとは、

自分でも些細だ、おかしいと思っている不安に

異常にとらわれてしまう障がいだ。

 

例えば、出かけようとして、玄関にカギをかけたか、など

心配になることは誰にでもあるだろう。

心配になっても、一回確認すれば満足する。

だが、それでも心配が止まらず、何度もカギを確認してしまうという人がいる。

 

この「カギをかけたか心配」という強迫観念と呼び、

それを打ち消すための「カギを確認する」行動を打ち消し行為という。

 

本人もおかしいと思っているのに止められない、

これらの過剰な繰り返しが日常生活に支障をもたらす病、

それが強迫性障がいだ。

 

私を診断した医者がいうには、

これは発達障がいの二次障がいとして併発してしまったものらしい。

 

ある時、誰かが幽霊に関する怖い話をしていた。

それがきっかけになり、私は幽霊に過剰に怯えるようになった。

 

多少おびえる程度なら問題ない。

ただ、私の怯え方は違った。

 

取りつかれたくない、怖い目にあいたくないと思っているのに、

 

何故か、

「幽霊よ、私にとりついてください!」

という思考が浮かんでくる。

 

あわてて、「嘘です、ごめんなさい取りつかないでください!」と

必死に心の中で謝る。

 

しかし、そのあとには「いいよやっぱりとりつけよ!」

「やめてくださいごめんなさい」

 

の繰り返しだ。

 

私は痛みがなくては不安だった。

本当は苦痛がない方がいいに決まっている。

しかし、当時の私は「痛みあってこその自分」だったのである。

 

だが、さすがに自分でもこの思考はおかしいと思っていたので、

いじめの時のように先生に言って助けてもらうということはできなかった。

 

頭がおかしいと思われるとわかっていたからだ。

 

いじめのように外部から齎される苦痛ではなく、

内側から生じる苦痛は誰かに助けてもらうことはできない。

 

それでも自分で自分を痛めつけることは止められず、

一日のうちに、私の心に不安を占める時間は増えていくことになる。

「いじめ」という環境への過剰適応

人は与えられた環境に適応しようとする力がある。

いじめられた私はますます「いい子」というライフスタイルを

生き残るために深めていく。

 

大人に守ってもらうことで、自分の居場所を確保するために、

いい子という形で環境に適応する。

それが歪んだ形あれ何であれ、それは生きていくための「適応」なのだ。

 

しかし、その「適応」のために、大事なものを失っていく。

私は「いい子」になった代わり、

自分の感情を感じる力が徐々に麻痺していった。

自分が何者かもわからなくなっていたのだが、

わからなくなっていることにすら気づかなかった。

 

過剰適応の結果、

私はいじめなどによって与えられる苦痛が「当たり前」になってしまった。

 

苦痛が与えられ、それを誰かに取り除いてもらうことこそが、

できそこないの自分が「そこにいていい」と許される証になっていたのだ。

 

苦痛あってこその自分になってしまい、

苦痛なしには安定した自己を保てなくなっていたのである。

 

そのうち、私は自分で痛みを見つけ、自分でそれを与えるようになる。

 

それはおそらく、私が20数年引きずっている強迫性障がいとリンクしている。