とある発達障がい者が語る人生

発達障がいと自分の人生や思いについておもに綴っています。

2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧

あたしはあたしになりたい、あたしでありたい

不思議と、欲しかったものがわかり、 それを自分で自分に与えるようになってから、 私の強迫観念と強迫行為の頻度は減ってきた。 もう何も試さなくていい。 もし強迫観念が浮かんでも、 「それもあたしだよ」 と自分を許している。 すると、何故かすっと不安…

ありがとう

これまで「私」と書いていたが、なんとなく「あたし」と書きたくなった。 普段の一人称(公的な場を除く)は「あたし」なのである。 あたしは今、自分の深いところ、魂でこれを書きたいと思っている。 世界があたしにとって、どうあるかは関係ない。 世界と…

とっくに許されている

自分が許されるかどうか、世界を試さなくていい。 もうとっくの昔に許されている。 少なくとも、私だけは私を許す。 欠点も何もかも、全部受け入れた上で。 自分自身を、歪めなくてもいいのだと。 何度も何度も小さなころの自分を思い出し、 彼らとの対話と…

「あたしは、あたしでいい」

私は今、自分がずっとずっとほしかったものを知っている。 私がほしかったもの。 それは、見守ってもらうことだった。 どんな時でも「NAOはNAOであればいいのよ」 と言ってもらえれば、それだけでよかったのだ。 例え人より劣っていても、 いじめられても、 …

心の原風景

幼少期、そして小学生時代のこれらによって、 「出来そこないの自分にとって、 この世界は厳しく、苦痛に満ちたものである」 という、私の心の原風景は形作られた。 幽霊にとりつけという妄想が浮かんでは、 必死にそれを否定する。 墓参り神社にいけばその…

そして強迫性障がいへ

苦痛と不安。 それから誰かが救出したときに感じる、 「私はここにいてよいのだ」という感覚。 それを私は無意識のうちに求め、繰り返してきた。 「苦痛」と「それから救ってくれる他人」の存在により、 自分を安定させていたのである。 強迫性障がいとは、 …

「いじめ」という環境への過剰適応

人は与えられた環境に適応しようとする力がある。 いじめられた私はますます「いい子」というライフスタイルを 生き残るために深めていく。 大人に守ってもらうことで、自分の居場所を確保するために、 いい子という形で環境に適応する。 それが歪んだ形あれ…