不思議と、欲しかったものがわかり、 それを自分で自分に与えるようになってから、 私の強迫観念と強迫行為の頻度は減ってきた。 もう何も試さなくていい。 もし強迫観念が浮かんでも、 「それもあたしだよ」 と自分を許している。 すると、何故かすっと不安…
これまで「私」と書いていたが、なんとなく「あたし」と書きたくなった。 普段の一人称(公的な場を除く)は「あたし」なのである。 あたしは今、自分の深いところ、魂でこれを書きたいと思っている。 世界があたしにとって、どうあるかは関係ない。 世界と…
自分が許されるかどうか、世界を試さなくていい。 もうとっくの昔に許されている。 少なくとも、私だけは私を許す。 欠点も何もかも、全部受け入れた上で。 自分自身を、歪めなくてもいいのだと。 何度も何度も小さなころの自分を思い出し、 彼らとの対話と…
私は今、自分がずっとずっとほしかったものを知っている。 私がほしかったもの。 それは、見守ってもらうことだった。 どんな時でも「NAOはNAOであればいいのよ」 と言ってもらえれば、それだけでよかったのだ。 例え人より劣っていても、 いじめられても、 …
幼少期、そして小学生時代のこれらによって、 「出来そこないの自分にとって、 この世界は厳しく、苦痛に満ちたものである」 という、私の心の原風景は形作られた。 幽霊にとりつけという妄想が浮かんでは、 必死にそれを否定する。 墓参り神社にいけばその…
苦痛と不安。 それから誰かが救出したときに感じる、 「私はここにいてよいのだ」という感覚。 それを私は無意識のうちに求め、繰り返してきた。 「苦痛」と「それから救ってくれる他人」の存在により、 自分を安定させていたのである。 強迫性障がいとは、 …
人は与えられた環境に適応しようとする力がある。 いじめられた私はますます「いい子」というライフスタイルを 生き残るために深めていく。 大人に守ってもらうことで、自分の居場所を確保するために、 いい子という形で環境に適応する。 それが歪んだ形あれ…
私はいじめの恰好の的になった。 小学校では、授業において行かれるのは日常茶飯事。 先生の指示が、一回で理解できずおろおろする。 机の引き出しの中は整理整頓できずぐちゃぐちゃ。 運動神経が悪くて、体育の時間や運動会では足を引っ張るのが当たり前。 …
簡単な自己紹介をしてみよう。 私の最終学歴は、地元のちょっといい公立大学卒。 だが、正社員経験はゼロ。 現在の仕事はパート。時給は750円ほど。 毎月実家に2万入れながら、障がい者として働いている、 立派な底辺の親のスネカジリである。 ちなみに、自…
「嫌われる勇気」 初版は2013年。岸見一郎氏と古賀史健氏が手がけ、 日本にアルフレッド・アドラーの名を広めることに一役買ったこの本を、 最近私は手にした。 哲学や心理学関係の本を読むのは、大学の時以来だったと思う。 家族との衝突や自身の障がいなど…
吾輩は猫である。 じゃないや、私は発達障がい者である。 初めまして、NAOと申すものです。 広汎性発達障がいとADHD、強迫性障がいを持つ迷える人間です。 いろいろ紆余曲折ありつつ、山あり谷あり、 それでも生きてきた自分の人生を 振り返って気付きを得た…