「あたしは、あたしでいい」
私は今、自分がずっとずっとほしかったものを知っている。
私がほしかったもの。
それは、見守ってもらうことだった。
どんな時でも「NAOはNAOであればいいのよ」
と言ってもらえれば、それだけでよかったのだ。
例え人より劣っていても、
いじめられても、
親がそういって手を握ったり、
抱きしめてくれれば、それだけでよかったのだ。
私が私であることを、誰かに認めてほしかった。
人より劣ってるからって、
無理に自分を殺していい子にならなくてもいい、
そのままでいいんだよ、と、誰かに言ってほしかったのだ。
残念ながら、私の人生にそれを言ってくれる人は
これまでいなかった。
親は「いじめに負けるな」「細かいことを気にするな」といい、
先生はいじめられっこを叱ってくれた。
きっと大人たちは皆、私を一生懸命になってくれた。
でも私が一番欲しいものは、私自身もわからなかったし、
大人たちも気づけなかった。
だから今、私はそれを自分で自分に与えるようにしている。
ふとさびしい感情、不安な感情が沸き起こる時、
そこには小さいころの自分がいる。
その自分が怯えて顔を出す。
その自分の手を、私は握っていう。
「怖くてもいい」
「出来なくてもいい」
「それでもいい、大丈夫」
「あなたはあなたでいい」
「あたしは、あたしでいい」
そうすると、何故かふっと不安が和らぐのだ。
「あなたはあなたでいい」
「あたしは、あたしでいい」